赤い雨
思い込んでいたのは、俺のほう・・・
あいつは俺を出し抜いて、翻弄させるだけ。
それでも俺は、あいつを放せなかった。
やっと手に入れた珠玉を、手のひらの上に乗せて眺めるけれど、
安堵なんて気持ちは、これぽっちも沸いてこない
あるのは不安と、焦燥と、
そして、あいつのすべてを受け入れられるのかという自問自答だけ・・・
答えは決まってる。
答え自体が分からなくても、どんな答えが出ようとも、俺はあいつを離さない
いや
放せない
たとえ
俺の中に、赤い雨が降り続こうと・・・
二人の初めての出会いは、プールバーだった。
姉の彼氏に連れてこられた仁王の目的は、ダーツ。
すでに常連のようだった不二の目的は、ビリヤード。
初めて訪れた仁王が、得意の腕前を披露して周りの大人たちを驚かせている時
仕切りの向こうのテーブルでは、不二がハスラーさながらの腕前を見せ付けていた。
手入れの行き届いた専用のキューを操り、中学生とは思えない大人びた雰囲気で
周りを圧倒し、賭けの星を一人で攫っていた。
モノトーンで抑えたシャツとパンツに、ざっくりと大き目のベージュのセーターを着、
肩にかかる薄茶の絹糸のような髪に、絶えず称えられた天使のような微笑・・・
初めて彼を見たものは、誰もが成人前の可憐な乙女と見間違えるのだった。
「へぇ〜美人だね」仕切りの向こうの様子を眺めていた姉の彼氏の一言に、
仁王は的を狙っていた手を止めて視線を向けた。
「あいつ・・・」大会で何度か見かけたことのある姿に、仁王は、はっとしながらつぶやいた。
「ん?知り合い?」
「いや・・・」
「そうなの?」
いつになく動揺してしまった仁王は、丸腰で戦場に飛び出してしまったような
錯覚を覚えながら「大会で見かけたことがあるだけだ」と答えた。
「テニスやってるんだ・・・ってことはお前と同じ中坊?」しかも男?と姉の彼氏は
驚いたような顔をしていた。
それから何度か、仁王はそこへ訪れたが、その度に不二は、テーブルに向かって球にキューを突き立てていた。
青学ナンバー2の不二周助・・・
自分のチームのデータバンクである柳から、僅かに聞いた情報では、
四六時中接している、同じチームのデータバンクの乾ですら、正確なデータを取らせてもらえないほどの
食わせ者・・・
不二の実力の真相を知るものが、一人としていない・・・
柔らかでやさしげな笑みの向こうに、一体どんな正体をかくしているのか・・・
思えば思うほど、仁王は不二に対する好奇心を、おさえられなくなるのだった。
声を掛けたのは仁王から
それに答えたのが不二だった。
日々交わす会話
訪れる目的は違っても、二人はゲームの合間を縫って、対話するようになっていた。
一人でも訪れるようになった仁王は、本来の目的であるダーツをしなくても
キューを握る不二を、食い入るように見つめるのだった。
コートの詐欺師と名高い仁王が
その手腕を最大限に発揮して
天才を、自分が仕掛けた網に取り込んでいく・・・
全ては、彼のシナリオ通りのはずだった
友達のラインは越えていた
けれど、だからと言って、男女間で生じるような感情とはまた違ったような
そんな曖昧な関係が心地よかった。
そんな距離を保ったまま、いつしかプールバー以外でも二人は会うようになっていた。
お互いの休みが重なった日は、どちらかの部屋で過ごすことも多くあった。
別に俺は男は好きじゃない
当然、恋愛対象に、なんかなるはずもないと思ってる
けど、あいつに関してだけは違っていた
一緒に居ればいるほど心地良いと思った
欲しいと思った。
そして手に入れるために
俺は緻密に網を張り巡らし
ゆっくり静かに誘い込んだ
思っていた通りに事は運んでると
全ては俺の掌中だと
そう思ってた
そして、あの日・・・
見てしまった
部活も引退し、自主練習に入っていた。
一度、自宅に戻った仁王は、よく個人的な練習に用いるテニスクラブへと向かっていた。
駅前に着いた時、ふっと視界に、チームメイトの一人の姿が横切った。
「ん?・・・柳生?」
声を掛けようとして、言葉を呑む。彼の隣には、きれいな女性が居たからだった。
いつもながら、紳士的な振る舞いでエスコートする柳生は、今まで垣間見たことがないほど
柔らかい表情をしていた。
「へぇ・・・」自分に気づいてないことをいいことに、体を建物に隠すようにしながら
仁王はしばらく様子を伺っていた。
女性にしては、少し背が高いだろうその人の後ろ姿に、目がどうしても引き付けられた。
どこかで見たことがあるような・・・そんな思いの仁王に身が凍るような瞬間が訪れる。
クスリ・・・と微笑みながら隣の柳生を見上げた横顔は・・・
そう、
不二だった。
親しげに歩く二人の後を気づかれないように黙って追った。
二人が姿を消したのは、柳生が両親から与えられていたプライベートルーム代わりのマンションだった。
洗練されたそこは、たまにチームメイトたちと訪れたことのある場所だったのでよく覚えていた。
親の目の届かない部屋に二人きりで・・・
不二の腰に回された柳生の手が、仁王の脳裏に暫く焼きついたままだった。
「ちょっと顔貸せや・・・」
翌日の放課後・・・仁王は、校舎の屋上に柳生を呼び出した。
「なんのつもりですか?」柳生は静かに言った。
「説明してくれんかの?昨日のことを」
それが何を指しているのか、柳生にもすぐにわかった。
「どうして君に言う必要がある?」
「先に目ぇつけたんが俺だからだ」
ギリギリのラインで、自分を抑えるように仁王は静かに言った。
「困りましたね・・・」柳生はふっとため息をついた。
「プリっ・・・」
「問答無用ですか?」
「・・・・」
「確かにね・・・どこかうわの空みたいなんですよね・・・彼」
あなたのせいでしたか・・・柳生は苦笑いをした。
「手ぇ引けや・・・」
「そう言われてもな・・・」
「死にたいか?」
「まさか・・・そっちこそマジ・・・なんですか?」
「そういう冗談は、俺は嫌いだ」仁王はスパッと言い切った。
「手放したくないんですけどね・・・別にどうって、約束もなにもしてませんからね」
僕らは・・・と柳生は言った。
「死ぬ気でないなら、手ぇ引きんしゃい・・・」
仁王の勢いに、柳生はふっと小さく微笑んでから「わかりました・・」と答えた。
「こちらがそうなってしまってからでは遅いでしょうからね」
「だと?」
「いいタイミングでしたよ」そう言って、柳生は背を向けて去って行った。
『あなたらしくないですね・・・仁王君』柳生は、心の中で呟いてため息をついたのだった。
その夜、フラリとダーツをしに、久しぶりに仁王はプールバーに顔を出した。
と、いきなりすごい勢いで視界に不二がやってきて、凄い形相のまま腕を捕まれると
そのまま裏の通用口から引きずり出されたのだった。
「なんじゃい?」驚く仁王に
「何を言った?」と不二は食ってかかった。
「はぁ?」
「あいつに何を言った?」
「あぁ・・・・あいつか・・・・」と言ってから仁王は一呼吸して
「好きなのか?」とたずねた。
「嫌いならやらない」不二は仁王を睨んで静かに言った。
「なんであいつだ?」
「うるさい」
「答えろや」
仁王の目に不二は一瞬怯んで、目をそむけた。
「言いんしゃい!」バッと仁王は不二を背後の壁に貼り付けるように押し当てた。
形勢が逆転する・・・追い詰められたのは不二だった。
「別に・・・女の子は面倒だし、ウザイし・・・男相手なら、抱くより抱かれるほうが良かったから・・・」
「それであいつか」
「たまたま・・・母さんの主治医が、彼の親父さんだったんだ」
それで知っていたと不二は項垂れて答えた。
「バカヤロー!」パシンと大きな音とともに不二の髪が乱れ、頬が真っ赤に染まった。
「痛いっ!」頬に手を当てて不二が恨めしそうに仁王を睨んだ。
「なんで僕が、君にこんな目に遭わされなきゃいけないんだ!!ほっとけよ!」
「黙らんしゃい!」再び肩を押されて、後ろの壁に背と後頭部を打ち付けられた不二が、痛みに顔をゆがめた。
鬼のような形相の中、仁王の目は、酷く痛々しくて辛そうだった。
不二はわざと自分が避けていた彼の感情を痛いほど感じた。
そして、自分自身さえも避けていた奥底の彼に対する感情を、開放せざるを得なくなるのだった。
「気付いとったはずやの?」拘束されたまま顎を引き上げられ、間近から睨まれながら仁王に言われ、
不二は黙ったまま目を伏せた。
「何も言わなかったくせにっ」悔しそうに呟く不二に
「言わんと分からんのか!!」仁王はまた声を荒げた。
「怒鳴るな・・・」聞こえてる・・・不二の声が震える。
「気づかん振りして、あいつと寝るんか」
「うるさい・・・」
「いつまでそれで続けるつもりやったんじゃ!」
不二は心も体も痛かった・・・
そして溢れ出した涙がとめどなく流れるのだった。
「二度とするな・・・」
今までの苦しいほどの拘束から開放された瞬間、ふわっと包み込まれるように抱きしめられた
不二の頭上から降りてきたのは、仁王の低い搾り出すような声だった。
「ごめん・・・」
驚くほど素直に、不二から言葉が吐き出された。
「お前は、俺のモンじゃ・・・」今度は、いつくしむような声が胸に染みた。
逃げていた・・・
不二には薄っすらそんな自覚があった。
捕らえられるのが怖かったのかも知れない・・・
仁王に抱かれながら、不二はふっと思ったのだった。
「悪かったね・・・巻き込んで振り回して・・・・」
仁王を迎えに校門のところで立っていた不二は、バッタリ出会った柳生に
苦笑いしながら話した。
「まぁ・・・今回は、役得ということにしておきましょう」
柳生も苦笑いをした。
体の相性は悪くはなかったし、気分的にもどちらかといえば良かったのは
二人にとって正直なところだった。
けれど遊びの域を出ないことも確かで、いつかは・・・と終わりの見える
関係だったとお互いに思うのだった。
「あ・・・鬼が来ましたね。喰われる前に失礼しますよ」
後方に仁王の姿を確認した柳生は、そう言って軽く手を上げて帰っていった。
クスっ・・・と微笑む不二の元へ怖い顔をした仁王がやって来た。
「気にいらん・・・」呟く仁王に
「僕が君のものでも?」と不二が言った。
「プリっ」ふんと仁王は前を向いて歩き出す。
黙ってその横を不二も歩く。
当分続くだろう
俺の自問自答は・・・
けど結局、答えは決まってる
それでも俺はあいつを離さない
はっきりとした答えが出た時
俺の中の赤い雨も止むだろう・・・・
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