心地良い空間
「キモイぞ」
「え?何が?」
「テメー」
「え?マジ?」
「ったりめぇ・・・ついでにウゼぇ」
「え〜〜っ、酷いなぁ〜」終始笑顔の千石の横で、頬杖ついたまま、
だるそうに咥えタバコで、亜久津は呆れたような顔をしていた。
「とっとと失せろ」付き合ってらんねぇと言う亜久津に、千石は両手を合わせて「メンゴ、メンゴ」と言った。
全国大会の2回戦で敗退した山吹。
勝ったのは、千石だけだった。
「終わっちまった・・・・」やけに静かな千石からの電話に、
いつもなら「バカじゃねぇの」とあしらってしまう亜久津が、
「しゃーねぇな」と自宅へ呼んだのだった。
テニスを辞めたことに未練はない。再三にわたる復帰の声にも、つっけんどうに答えていたのは、
単に突っ張っていたからではなかった。
越前とのあの一戦で、自分の中で納得がいったからだったが、
心の片隅の一点に小さく、千石に対して「悪かった」と思う気持ちが存在しているのも確かだった。
もし、自分が居て、勝っていても、次に進めていた訳ではなかったが、全国を前に、
一人で特訓を重ねていた千石を、亜久津はよく知っていたから、無碍な態度はとれなかった。
暫くして、彼らしくない笑みを浮かべながらやってきた千石と、自室で特に話など交わさないまま、
お互いにタバコをふかしたり、音楽を聴いたりして、亜久津はぼんやりと過ごしていた。
小一時間過ぎた頃だったか・・・千石の携帯が鳴り、それを境に、さっきまでひしゃげていた
千石が、いつもの千石清純に戻ったのだった。
千石の様子を見れば、その理由は、付き合いの深い亜久津には明白だった。
「もうちょっといいじゃんね?」しらっと言う千石に
「ここを時間つぶしに使うなんざ、いい度胸じゃねぇか」と亜久津はこめかみを
ひきつらせながら言った。
「ま、そう固いこと言わないでさ」すっかり調子を取り戻した千石に、
亜久津は、何を言っても無駄だと諦めて「好きにしろっ!」と言ったのだった。
『ま、しゃーねーか』千石も、その千石を復活させた人物も、亜久津はなんだかんだ
言いながらも、気に入っていた。
時計を見ながら、メールを打っている千石を見ながら、亜久津は苦笑いをしながら
ベッドに転がり、昇り行く紫煙をぼんやりと眺めていた。
「あ〜ぁ・・・あっくんも来れば良かったのにさ・・・」
ふっと、独り言のように呟いた千石を、亜久津は「ん?」と少し驚いたように見た。
「あら?聞こえてた?」
「独り言のボリュームじゃねぇだろ。バカ」亜久津はムッとしたように言って、そっぽを向いた。
「ごめん〜。だってさ、俺の頑張ってるとこをさ、あっくんにも見て欲しかったんだもん」
屈託なく言う千石に
「うぜぇ」亜久津は一言返した。
「なんでさ〜」
「あいつに見せたんなら、それで十分だろ!」
「だってさ、フジコちゃんも言ってたんだぜ?『亜久津も居れば良かったのにね』ってさ」
「はぁ?」
居たら見てもらえたのに・・・・では、きっとないだろう。
居たら勝てたかも知れないのに・・・
亜久津は、そう言われたような気がしていた。
そんな亜久津の心境を知ってか知らずか、千石はのんきそうな顔で
「だってさー、俺のヒソ練ずっと付き合ってくれてたじゃん?それにさ、何より俺の一番の
相方だし。不二ってばさ、『ちゃんと先生には、特訓の成果を見てもらわないと』なんて言うんだぜ?
あっくんのこと、先生だよ?ほんとさ・・・フジコちゃんらしい考えだと思わない?」
ふっと笑う千石を見て、『んだよ・・・』亜久津はさっきの自分に苦笑いをした。
純粋な千石からの言葉。純粋なもう一人からの言葉。
だから彼らが好きなのだ・・・いくらウザイくらいに付きまとわれても、
それが決して嫌ではなくて、心のどこかで待っているところもあったりするのだ。
「『亜久津に感謝しなよ』って言われた」
「え?」
「さっきのメールでさ・・・」言いながら、千石は画面を亜久津の視界に差し込んだ。
君は強かった。惚れ惚れするくらいね。
何一つ、終わってなんかない。本当にそう思わない限り、決して終わりなんてない。
今、君がすることは、亜久津に感謝すること。
次は、どんな千石清純を見せてくれるのかな?
僕は、それが楽しみだ。
画面を見た亜久津は「ふんっ・・・」と笑った。
そんな亜久津を見て、千石も嬉しそうに笑った。
「サンキュー。あっくん」
「・・・ったく・・・世話の焼けるガキだぜ・・・」
「え〜〜〜、ひどいなぁ〜〜」と言ってから、千石はニコっと笑って、
「んじゃまぁさ、世話の焼きついでに、これからもよろしく」と言ったのだった。
「ふんっ・・・」照れたように亜久津は鼻で笑った。
と、ドアチャイムの音が鳴った。
「あっ」脱兎の如く、千石がドアに駆けていった。
「あっ!」少し遅れて、何かを思いついたように亜久津が声を上げた。
慌てて千石の後を追ったが、追いついたと思った時には、ドアが開かれていた。
「やぁ」
上品な笑みを浮かべた不二が、軽く手を上げて立っていた。
「あ・・・あぁ」照れたようにそれに返事をしてから、ふっと我に返ったように、
自分と不二の間に立つ千石に「てめーーーっ!」と亜久津は掴みかかった。
「きゃはっ!メンゴメンゴ!」千石はそれを交わしながら、楽しげな声を上げた。
「クスッ・・・」不二はそれを見て嬉しそうに微笑む。
「・・・ったく・・・俺を時間潰しに付き合わせた挙句、ここを待ち合わせ場所にしやがって・・・」
フツーの奴なら速攻殺す。亜久津は呆れたように唸った。
「ちゃんと了解とらなきゃ」困ったね・・・と不二は苦笑いしながら言った。
「だってさ・・・不二も会いたいって言ってじゃん?丁度いいかなって思ってさ」
「まぁね。でさ、姉さんから分捕ってきたパイあるんだけど・・・」
袋を持った片手を挙げて、不二は亜久津に微笑みかけた。
「・・・ったく・・・それ食ったら出て行けよ」亜久津は言いながら、背を向けて部屋に戻っていった。
「ほらほら・・・さ。こんなとこだけど、上がって」
不二を迎え入れる千石に
「千石!テメー、マジで殺す!」と奥から亜久津の大声が響いた。
「・・・だってさ・・・どうする?」楽しげな不二に
「あっくんってばさー・・・・」千石は、苦笑いをしながら、宥めるような声で亜久津に向かって言った。
結局、その後、三人でパイを食べて、うだうだとバカな話に華を咲かせて、
2時間ほど時間を過ぎた頃、ようやく千石の「んじゃ、行こうか?」と言う声で
亜久津の部屋に静けさが戻ったのだった。
「また来るわ」
「うぜぇっつってんだろ!」
「またまた〜〜」
「邪魔したね」
「いや・・・」
「なんだよ〜〜不二だけ特別扱い?」
「うっせー!」
「クスッ・・・」
玄関を出て行く不二に「勝てよ」と亜久津は言った。
「ん?」と振り返る不二に「そこのバカの分もだ」亜久津は呟くように言った。
「うん。もちろん」不二は綺麗な微笑を亜久津に向けて頷いた。
「あれ?何?二人だけ」おどけたような千石に「なんでもないよ」と不二は微笑みながら言った。
大型犬が、ようやく迎えに来たご主人に、尻尾を千切れんばかりに振って付いていくような・・・
そんな絵が、視線の先の二人に被って仕方なかった亜久津は、めずらしくも、スグに部屋には
戻らずに、そのまま並んで去っていく二人の後ろ姿を見送ったのだった。
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