silent voice
「いよいよだな・・・」
不二は、綺麗な微笑みを手塚に向けて、静かに呟いた。
手塚は、その微笑の後ろに見える哀愁に、心が引き裂かれそうになりながら
「あぁ・・・だが、すぐ戻ってくる」と不二に告げた。
「クスっ・・・またすぐに行っちゃうくせに?
いいよ、僕のことは気にしないで・・・」
不二の、哀しいまでの強さと、背中合わせの儚さに、手塚は言葉が出なかった。
そっと不二を抱き寄せて、強く抱きしめるのが・・・精一杯だった。
高校3年の、夏の大会の後、すぐに手塚は、夏休みの後半〜2学期いっぱいを、
アメリカでテニス留学をする。実質、日本でプレイするのはあれが最後だった。
戻って、3学期を日本で過ごし、卒業後、今度は本格的にプロになるために、
渡米してしまうのだ。
最後の手向けにと、チームメイト達は奮起し、青学は苦戦を強いられながらも、
日本一の栄光を手にしたのだった。
大会が終わるまでは、不二も勝つことだけを考えていたのだが、
それも終わってしまえば、心の中が、支えを失ったようにぐらつき、
手塚と離れてしまうということで、何かが大きく欠落してしまったように
不安定な精神状態が続いていた。
けれど、人にそんなそぶりを見せることもなく、いつもどおり、
不二は綺麗に微笑んでいた。
手塚の出発を翌日に控えた日、不二は手塚に誘われて、彼の部屋を訪れていた。
「一度は、テニスを諦めかけた君が、辛い時期を乗り越えて、
世界に羽ばたく、記念すべき第一段階だ・・・こんなに素敵なことはない」
「だが・・それは・・・」
「手塚、何も言わないでいい。僕は君の枷にはなりたくないんだ」
「違う。不二・・・俺があの時期を乗り越えられたのは、お前が傍にしたからだ。
お前がいなかったら、今の俺は、ここにはなかった」
手塚はそう言うと、一層、不二を強く抱きしめた。
「君らしくもないな・・・ごめん。
でもそれは、僕がここにいるから、錯覚してるんだ。
手塚、君は、本当に強い奴なんだ。だから、前だけ向いて、進んで・・・」
不二の言葉は、最後は聞き取れないほど、か細く弱くなっていった。
笑って彼を見送ろうと
元気に彼の背を押そうと
そして、静かに彼を待とうと
そう心に誓っていたのに・・・
一旦零れ落ち始めた雫を止める術は、今の不二にはなかった。
寂しいとは
辛いとは
不安だとは
決して言えない。
いや・・・
言うまい。
手塚は力を込めて不二を引き剥がし、顔を見ようとした。
が、もし、顔を見てしまったら、抑えていた言葉を、口にしてしまいそうで、
不二は、手塚にそれをさせずに、ぐっと彼の胸に顔を押し付けて、
背中に手を回し、わざと離れないようにした。
「大丈夫、僕は、待っているから」
震える声を堪えて不二が言う。
「不二っ」
辛そうに手塚は、不二の名を呼んだ。
「待っているけど、君が僕を必要でなくなったら、手放してくれて構わない。
潔く引く覚悟くらい、僕にはできてるつもりだ」
「冗談じゃない」
手塚の強い語気に、一瞬、不二がピクリとした。
「お前は・・俺が、そんないい加減な気持ちで・・・
俺は、そんないい加減な気持ちで、お前を愛してるんじゃない」
怒ってはいない、はっきりとした、言い聞かせるような口調で、手塚が言った。
「手塚・・」
不二が、ゆっくりと手塚を見上げると、手塚はそっと指で不二の涙を拭いながら
「言ってくれ。不二。俺にお前が今思っていることを」
言わなくても・・・言葉にしなくても、手塚には自分の気持ちが伝わっていることを
悟った不二は、黙ったまま首を横に振った。
「不二・・・いくら夢のためとはいえ、俺は・・・・
俺は、お前と離れたくない。本当は、お前がいくら嫌がろうと、無理にでも
連れて行きたいと思っている。お前と離れるのは寂しい。
お前という支えが、直ぐ近くにないまま、試練に耐えられるかどうか、
もし、お前に、他にいい奴ができたり、お前の心を失ってしまうようなことがあったら・・・
そう思うと、お前を一人残していくのは、言葉にできないくらい不安なんだ・・・」
「手塚・・・」
手塚の言葉に、不二は、全身の力が抜けたようになった。
『僕が言わなかったから・・・手塚が代わりに?』
そう思うと、今度は不二の心を、罪悪感が襲う。
あの手塚に、こんな言葉を言わせてしまった・・・と。
自分で自分を責めながら、苦しそうな不二に、手塚は優しくその名を呼び、
震える細い背を、愛しそうに繰り返し撫でるのだった。
「すまない・・・手塚」
「謝るな」
「でも・・・寂しくて、辛くて、不安なのは僕なのにっ・・・」
「不二」
「それなのにっ・・・」なおも自分を責めながら、溢れる感情を抑えつつ、
涙を流す不二の頬に、手を添えてそっと上を向かせると、手塚は
「やっと、素直になったな」と優しく微笑んだ。
「手塚・・・」
「聞き分けのいい子も可愛いが・・・そうやって、素直になってくれたほうが、
嬉しい時もある」
「どうして・・・」
「自分が辛くなった時・・・今のお前を思い出して、お前も辛いのを我慢してるんだと
思ったら、きっと、俺は頑張れると思う」
「手塚」
「自分だけじゃないんだと・・・お前も同じだと思えたら、、俺はきっと強くなれる」
「手塚・・・」
「お前は、少し無理をしすぎだ」
手塚はふっと笑って、不二の額をちょんとこついた。
「ごめん・・・」
「謝るなと言っているだろ?冬には帰って来る。しばらくだが、お互い辛抱しよう」
「うん」
「その後、また離れても、たった4年だ」
「たったって・・」
「長い人生の、たった4年だ。それに、行ったきりというわけではない。
俺が耐えられんからな。4年経ったら、お前もすぐに追って来るだろう?
そしたら、死が俺達を分かつまで、ずっと一緒にいるんだ。
もっとも、死んでも俺は、お前を離すつもりはないがな」
「そんな・・・今、そんなことを、、君にに言われたら・・・
僕は・・・期待してしまう」
「期待してればいいだろう、俺は期待を裏切らない男だ」
「よく言うよ・・・」不二はふっと微笑んだ
「やっと笑ったな・・・お前こそ、俺の期待を裏切るな。
4年たったら、ちゃんと俺のところへ来るんだぞ」
「あぁ」
「どうせ、手ぶらでくるつもりじゃないんだろ?」
「え?」
「お前がこっち(日本)に残るのは、学生チャンピオンになるからだろう?」
「知ってたのか?」
「当たり前だ。俺を侮るな」
「クスっ・・・ごめん」
「大丈夫だ。お前ならなれるさ」
「あぁ・・・頑張る」
綺麗な瞳で誓うように言う不二に、手塚は満足そうに微笑むと、ゆっくりと唇を下ろしていった。
「しばらくお預けだからな・・・覚悟してくれ」
手塚のこの言葉以降、朝、自分を呼ぶ声を聞くまで、不二は、時間も空間もわからなくなるくらい
手塚に翻弄されたのだった。
何度も耳元で、手塚の低く響く声で、名を呼ばれ、愛を紡がれ、
自分の奥深くに、手塚の熱を打ち込まれて、分身を放たれ、
声が掠れるまで、不二は喘ぎ、手塚に溺れたのだった。
お互いの体の中に、自分を刻み付けるように
溶け合って、求め合って・・・
「いってらっしゃい・・・」
チームメイトたちの見送りのあと、一人最後まで付いて来た不二が、
柔らかい微笑みと一緒に手塚に声をかけた。
「あぁ、行って来る」
「ん」
「不二・・・」
「ん?」
「空が果てしなく繋がっているように、俺とお前の心も限りなく繋がっている。
お前が寂しい時は俺も寂しい。だから、、我慢せずに連絡をしてくれ。
俺も、お前に連絡をするから」
「手塚・・・」
「お前の心の静かな声は、傍にいれば黙っていても聞いてやれるが、離れていては
それは叶わない、ちゃんと声にだして伝えてくれ」
「ん・・・そうする」
「あぁ・・そう言って貰えて安心した」
高く飛んで行く飛行機を見上げながら
不思議と落ち着いた気分でいるのを不二は感じた。
『ほんとだ・・・僕らは、きっとすごく強く繋がっているんだろうな
君もきっと、今は心穏やかなんだろうね。聞こえる?僕の静かな声・・・
ありがとう手塚。
そして、何よりも強く、愛してる』
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