元帥の里帰り<後編>
「キリキリやらんと終わらんぞ」
「もぉ・・・少しは手伝ってくれるとかはないんですか?」
「いつまでも甘えるな」
「いいじゃないですか、減るもんでもなし・・・」
「口じゃなく、手を動かせ」
「あー、もぉ・・・忌々しい・・・」
只管書類の処理を続ける天蓬を、敖潤は自分の仕事をほったらかしにしたまま、
ずっとチェックしていた。
天蓬がようやく、集中し始めると、敖潤はそこから離れ、放置していた自分の仕事に手をつけた。
静かな、ゆっくりとした時間が流れていく。
とても穏やかで本当に静かに・・・・
ふっと顔を上げた敖潤は、視線の先の天蓬の仕事の残量があと少しと見ると、
彼のために飲み物を用意するのだった。
甘えるなと言いながら
彼に冷たい態度が取れない自分。
彼を切れない自分。
俺も大概・・・甘やかしすぎだな・・・
彼の好きな花の香りのするお茶を煎れながら、敖潤は心の中で呟きながら、苦笑った。
「お前は・・・いつもエンジンがかかるまで、時間がかかりすぎるんだ」
仕事を終えて、ふっと短い息をついた天蓬の目の前に、敖潤はさっとカップを差し出した。
「ありがとうございます・・・」心地よい香りに、瞳を閉じて香りを胸に吸い込みながら、
天蓬は、満足そうな顔をして、カップを取った。
「まだ・・・残ってたんですか?これ・・・」自分の趣味で持ち込んでいたそれ。天蓬は
少し驚いたように呟いた。
「いや、お前に感化されて、気が付いたら俺も好むようになっていたんだ」
敖潤は答えた。
「お前のように、熱湯で煎れるより、これくらいの温度の方が香りが良く出る」
「へぇ・・・」それは知りませんでした・・・感心したように、天蓬は呟きながら、
その香りを楽しみ、それを引き出した敖潤の何事にも対する完璧主義に脱帽するのだった。
「それを飲んだらとっと帰れ」
「嫌ですよ」
「もう、いいだろう」
「え?」
「あいつに対する仕打ちだ。何が原因かは知らんが、そのくらいにしておいてやれ」
「敖潤・・・」
深く理由を追求もせず、ただ、静かに促すように背をおしてくれる敖潤を
天蓬は静かに見つめたのだった。
「あの・・・」暫くして、天蓬は敖潤に言った。
「ん?」
「せめて、迎えに来るまで居させて下さい」
ぷっ・・・と敖潤は、噴出してから、「構わん」と言ったのだった。
子供のように楽しげに笑う敖潤・・・・きっと彼のそんな一面は、天界の中でも天蓬くらいしか
知る由もないだろう・・・
「もうひとつお願いしてもいいですか?」
「何だ?」
「お代わり下さい」コップを差し出す天蓬に、敖潤は呆れたように笑みを浮かべてから
「しょうがない奴だ・・・」と言って、次のお茶を煎れるのだった。
「夜って何時からだ?」
良い子が家に帰るのは、地上では5時らしい・・・
捲簾は一人、自問自答を繰り返していた。
一秒でさえ、無駄にできない。
早く天蓬を連れ戻したかった。
その前に、何を言おうか
どう言おうか・・・
ぐるぐるとめまいを起こしそうなほど、頭脳を駆使し、
至った結論は
「俺が悪かった、帰ってきてくれ」・・・だった。
なにせ・・・・
事の発端となった事柄をよく認識していない・・・
それもそのはず。
このところ過酷だった元帥業務を、超人モードでこなしていた天蓬を休ませてやりたいと
勝手に休暇を取ってきて、それを告げて「勝手なことをするな」から始まった
痴話げんかだったのだから。
捲簾自身は、罪悪感はないのだ。ただ。黙ってやったことは、悪かったかな・・・程度のものだった。
天蓬は、気遣われるのが苦手だったのだ。
それは彼の男としてのプライドからくるものもあっただろう。
捲簾の気持はありがたかったが、たまに度を越えたあからさまな気遣いに
自分を女として見ているのかと、憤りを感じることがあった。
今回はそれが我慢の限界を超えていたらしい・・・
実家と言って憚らない敖潤のもとへ、痴話げんかのたびに駆け込んだのは
これで何回目になるだろう・・・
「だぁーーーーっ、くそっ!」
何を思ったのか、捲簾は突然、大きな声で叫ぶと、部屋を飛び出した。
バンッ!
ノックもせずにドアを開け、つかつかと中へ入っていった。
驚いたような顔で、ソファに座っていた天蓬の前を通り過ぎ、
執務用の机の前に座っている上司である敖潤の前に立つと
「失礼します」と深々と頭を下げ、ゆるぎない瞳で天蓬を見返し、
「帰るぞ」と言った。
「はい・・・」迫力に気押されたように、天蓬は唖然としたまま答えた。
ガシっと、天蓬の腕を掴み、立ち上がるように促す捲簾。
立ち上がりながら、天蓬は捲簾越しに敖潤を見た。
敖潤は、ふっと微笑みを返してから目を伏せ、書類に目を落としたまま
顔を上げることはなかった。
その敖潤に背を押されたように、天蓬は「お邪魔しました」と告げて、
捲簾に促されるように、共に部屋を後にした。
「捲簾・・・?」
何も言わないまま、自分の腕を掴んだまま歩く捲簾に、天蓬は躊躇しながら
声をかけた。
「んだよ」怒気を含んだような声で前を向いたまま捲簾は答えた。
「あの・・・」
「・・・ったく、お前の帰る場所はどこだ?お前の居場所はどこだ?」
なおも前を向いたまま言う捲簾の背を天蓬は戸惑うように見つめていた。
「えっ・・・」
「俺の居場所はお前だ。俺の帰る場所もお前だ。それは、俺が自分で選んだんだ。
なのに、なんでそのお前がいねぇんだ・・・」
独り言のように言う捲簾の顔が見たくて、天蓬はその名を口にした。
「捲簾・・・」
「何で居ねぇんだ」捲簾は立ち止まって天蓬を睨んだ。
「・・・えっ・・・」
捲簾は天蓬の答えを待たず、また、前を向いて歩き出す。
「お前が逃げ込む場所をあいつと決めてるのを辞めろとは言わねぇ。
けどな、だったら、お前にとっての俺は一体何だ?
お前があいつのとこから俺のとこへ来たのは、何のためだ?
何で俺を選らんだ?ただの退屈しのぎか?
俺がお前を心配して休暇をとったのがそんなに気にいらねぇのか。
あのまま続けて。お前がぶっ倒れちまったら、一体俺はどこに帰りゃいいんだ?」
立て続けに駆けられる捲簾の言葉の一つ一つが天蓬には痛かった。
そして最後の一言・・・
『そうでした・・・』と天蓬は思った。
丁度、捲簾の部屋の前・・・
ドアを開ける捲簾の背に天蓬はふっと凭れかかった。
「ん?」動きを止める捲簾
「捲簾・・・」
捲簾を呼ぶその天蓬の声が、今の天蓬の思いを全て伝えるように
捲簾の胸にに響いた。
なだれ込むように部屋に入り、硬く鍵を閉ざして、
二人は溢れる思いをぶつけ合った。
天蓬元帥は、休暇をそのまま居座った捲簾大将の部屋で過ごし、
以後、里帰りの回数は、無くなりはしなかったが、随分と減ったらしい・・・
「雨降って地、固まる・・・
何とかは犬でも食わん・・・か」
すっかり静かになった執務室で、いつもの茶を口にしながら、敖潤はふっと笑みを湛えた口で
呟いたとか・・・
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