悪くないかも・・・
「奥様。お見えになりました」
「随分と早く・・・すぐに、お通しして」
「はい・・・」
使用人が深々と頭を下げ部屋から下がっていく。
リビングの奥で雑誌を片手に、ソファに身を預けて紅茶を楽しんでいた跡部夫人は
ゆっくりと、手にしていたカップと雑誌を置いて、かけていた眼鏡もはずし、
背筋をしゃんと伸ばして立ち上がったのだった。
間もなく、使用人に連れられて、一人の少年が現れたのだった。
「おばさま・・・」
「・・・ごめんなさい。無理を言ってしまって・・・こんなに早く来てくれて嬉しいわ」
「お声をかけて頂かなくても、お邪魔するつもりだったので」
「そう言って頂けると助かるわ」
夫人は心底嬉しそうな笑みを向けて、ねぎらうように奥へ誘うと、
使用人を下がらせた。
「特にいつもと変わったところはないの・・・あの見た目以外は・・・」
「はい・・・なんとなく・・・想像はつきます」
「全ては自分の弱さと愚かさのせい・・・当然のことだと分かってます・・・
どちらかといえば・・・驚いたのは私のほう」
「お察しします」
「・・・戻ってきてから、驚く私に『何をそんなに驚くんだ』って言って、
夕食の時も、いつものままで・・・かえってそれが気になってしまって・・・
詳しく事情も聞かせて貰えないし・・・こうしてあなたに来て頂いたの」
「試合でちょっとしたハプニングがあったんです。正直、僕も少なからず驚きましたから」
「そう・・・跡部の人間として、これしきのことでとは思うのだけれど・・・」
「えぇ。それは誰よりも、彼は一番分かってます。だからこそ、いつもとなんら変わらないでしょう?」
「えぇ・・・」
「大丈夫ですよ。彼はおば様たちの期待通り・・・いえ、それ以上の男です」
優しく諭すような笑みに、夫人も救われたような笑みを浮かべて
ほっとしたように頷くのだった。
「部屋・・・ですか?」
「ええ」
「じゃ・・・」
「いつもごめんなさい。私や主人では役に立たなくって・・・」
「いえ。そんなことないですよ・・・おばさまや、おじさまが居てこその彼です。
それも、彼はちゃんと分かっています。・・・大丈夫です。明日にはいつもの彼に
戻ってますから」
やんわり微笑んでそう言うと、すぐにさっと前を向く背中に、夫人は
いつも助けられる・・・と、何よりも頼もしく思うのだった。
「電気くらいつけたらどうだ?」
いつものように、鍵のかかってないことに内心ほっとしながら、
部屋に入る・・・と、そこは何時もと違って真っ暗だった。
直ぐに、目線のまっすぐ先に部屋の主をみつけ、後手に鍵を閉めると、
窓の桟に腰を下ろし、月を見上げているその人に向かってまっすぐに向かった。
ちらりとこちらだけを見て、小さく「ちっ」と舌打ちをしてから、
再び何も気付かなかったように空に目を向ける彼に、薄っすら笑みを向けたまま
途中のソファにあった彼の上着を手に取ったのだった。
「風邪引くよ」
シャワーの後だろう彼の髪は濡れていて、パジャマは下だけ身につけていた。
「引かねぇよ」目線を空に向けたまま、答える彼の前に立つと、
「それでも、肩が冷える」と言いながら、そっと肩にそれをかけてやるのだった。
拒否もせず、それを無言で受け入れる彼に、
「跡部?」と囁くように声をかけた。
「何しに来た?」
「別に。会いたかったから来ただけだ。いつものことさ。
それとも・・・何か申請書でも必要だった?」
「ふんっ・・・」全く表情を変えないままの跡部に、
「跡部景吾っていう男のことは、君が一番分かってるはずだろうけど
僕にだって、君以上に知ってるっていう自信がそれなりにある。
今の君に、何を言うつもりもなければ、何をするつもりもない。
ただ・・・僕が会いたいから、こうして来ただけだ・・・
そして、そんな僕を、どんな時でも受け止めてくれるのが
跡部景吾という男のはずだけどな・・・」
暗さに慣れてきて、不二には目の前の跡部の様子がよく分かるようになっていた。
余計なことは何も言わず、跡部が口を開くのを暫くの間、待つのだった。
「・・・ったく・・・」今度は少し大きめの舌打ちをしてから、
ようやく跡部は目線を月から外したのだった。
「違った?」いたずらっ子のような目で言われ
「違わねぇ・・・けど・・・違げーよ」
「え?」
「俺がずっとお前を求めてんだ・・・不二周助って男をな・・・」
「跡部・・・」
「大丈夫だ。俺は跡部景吾。こんなことくらいでどぉってことになるくらい
柔じゃねぇ・・・」
「分かってる。でも、許せないんだろ?」
黙ったままの跡部に不二は静かに「自分自身がさ・・・」と言った。
「まぁな・・・ったく・・・ざまぁねぇ・・・」
「嫌なら次に勝てばいい」
「あぁ」
「それに・・・別に全ての強さのモノサシが、テニスってわけじゃないだろ?」
「まぁな・・・」
自虐的に微笑む跡部を、不二はそっと抱きしめた。
座っている跡部の頭を、立ったままの不二が抱き寄せながら、自分の胸に
優しく優しく包み込みその頭に顔を埋めた。
「チョーとまでは言わないけど・・・君は格好いい・・・
他の誰が何て言おうとね・・・僕にとって、君は何時だって光だ」
「慰めはいらねぇ・・・」
「そんなチンケなものじゃない。見てくれや、家柄や・・・そんなものじゃなくて
僕は、君の魂にぞっこんだってことだ」そう言いながら、不二は優しく跡部の頭を撫でた。
「ん・・・悪くは無いけど・・・やっぱり、長い方がいいな・・・」
「ンだよ・・・やっぱ見てくれじゃねぇか」
「違う。手触りだよ」
「・・・ったく・・・半年だ」
「え?」
「半年くらいでそこそになるだろ?」
「3ヶ月くらいなんじゃない?」
「はぁ?」
「助平な奴は伸びるの早いっていうだろ?跡部は、超ウルトラ級だからさ・・・」
楽しげに笑う不二の腰に跡部はさっと両手を回し、そのまま強く抱きしめながら
持ち上げて、立った。
「えっ」
「落ちるなよ」
ゆっくり歩き始めた跡部に首に、不二は腕でしっかりと抱きついた。
部屋の奥にあるベッドにたどり着くと、跡部はそこへゆっくりと不二を下ろした。
「超ウルトラなら、それが弩級になるように協力してもうぜ」
組み敷いた不二を見下ろし、不敵に微笑むその顔は、すっかりいつもの彼に戻っていた。
「僕でよければいくらでも」
「ふんっ・・・後で泣いても知らねぇぜ」
「大丈夫さ・・・いつも散々啼かされてるから」
「上等だ」
口付けを下ろしながら覆いかぶさる跡部を、不二は両手でしっかり抱きしめた。
不二の胸に、跡部は埋もれるように顔を埋めると、その温もりと柔らかな匂いと
伝わる鼓動に、言いようのない安らぎを感じる。
心に抱えたままだった、様々な感情が、一つ残らず綺麗に浄化されていくようで、
そうさせてくれる唯一の存在である不二に、彼こそが自分にとっての唯一無比の人であると
実感するのだった。
浄化された思いが、砂に吸い込まれていく水のように、
跡部の中で綺麗に消えていくのと同時に、本来の雄の本能が目を覚ませていくのだった。
貪欲に、自分を食らい尽くすように求める跡部を、不二は全て受け入れた。
翌日、体を動かすのも辛そうな不二の隣で、跡部はいつもの跡部に戻っていた。
揃って姿を現した二人に、ほっとしながらも、予想通りの展開と、
不二に対して心底申し訳なさそうにする跡部の母に、不二は笑顔を向け、
心配は要らないと言うのだった。
そして、車で出かける跡部に、そのまま付き合わされたのだった。
行きつけのサロンを貸切にして、跡部は不二の立会いの下、
指名した馴染みのカリスマ美容師に、不ぞろいだった髪を綺麗に整えさせた。
「へぇ・・・」
出来上がって、鏡に映った跡部を見て、不二は思わず感嘆の声を上げた。
「悪くはないな・・・」跡部もまんざらではないように呟いた。
「それって、結構気に入ったってことだよね」と言う不二に
「暫くの間だけだ」と跡部は苦笑いしながら答えたのだった。
髪型が元に戻るまで
不二はことあるごとに、跡部の頭を抱いて、撫でるのが癖のようになっていた。
そして、当の本人はそれを結構気に入っている様子だったとか・・・
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